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ピーターラビット友の会主催「ピーターラビット講演会」

「ビアトリクス・ポター ゆかりの地をめぐって」 大東文化大学文学部教授 河野芳英先生
「絵本の力」 児童文学者、児童文学編集者 松居直先生
「モーリス・センダックとビアトリクス・ポター、他」 立教大学名誉教授 吉田新一先生
 
2009年12月5日 大東文化会館ホールにて

 ピーターラビット友の会が毎年開催されている「ピーターラビット講演会」は、著名な先生方をお招きして講演をおこなっていただくというもので、友の会メンバーである友人に、ビジターでも参加できるという知らせを受け、講演に参加しました。会場は、東武練馬駅近くにある大東文化会館の1Fホールにて。明るく、そして300名収容できるという広い会場に、友の会メンバーとビジターをあわせて80名ほど。それなのに講演なさってくださる先生方の豪華なこと。

  
 (写真左) 講演会場の大東文化会館入口 (写真右) 手書きの案内。アットホームな雰囲気で和みます。

 
 (写真) 1Fホールの内部。講壇を取り囲むように設置された椅子は、前から5列ほど。マイク無しでも声が聞こえるほどの近さです。

 ●「ビアトリクス・ポター ゆかりの地をめぐって」 大東文化大学 文学部教授 河野芳英先生

 2009年4月から9月にかけて、ビアトリクス・ポターに関する様々なゆかりの地をめぐられた帰朝報告を兼ねてお話くださいました。

 ▼ヴィクトリア&アルバート(V&A)美術館のアーカイブにおいて

  このアーカイブには、ポターに関する作品はもちろんのこと、所蔵品なども保管されていて、大変厳しい管理のもと、研究や勉強という目的であれば、予約し閲覧することができます。

  そこで、河野先生は、「Beatrix Potter & Japan」をテーマとし、日本に関するものの調査に時間を費やし、その結果、例えばポターのスケッチの片隅に、花魁が描かれているものがあったり、またうちわを描いた作品など。画集や研究書などには掲載されることのない、しかし日本とポターのつながりを示す貴重な作品を紹介してくださいました。

 ▼リンダー・レクチャー(Linder Lecture)

 ビアトリクス・ポターの暗号日記を解読したレズリー・リンダー(Leslie Linder)の功績を記念して、英国のビアトリクス・ポター協会(Beatrix Potter Society)が毎年主催する講演を、「リンダー・レクチャー」と呼びます。

 協会会長のジュディ・テーラー女史(Judy Taylor)が、ポターの作品「オークマン(The Oakmen)」森の木に住む妖精の話についてのエピソードなど、その講演内容を紹介してくださいました。

 ▼6月の湖水地方を満喫

 6月には、丸々ひと月かけて湖水地方のゆかりの地をめぐられたことについてです。何故6月なのかという点も解説があり、「ヒルトップのポーチに咲くバラは6月が開花の時期であること」と、「モス・エクレス湖に咲くハスの花の開花時期も6月」というふたつの理由から6月を選択されたのですが、もうひとつ感銘を受けたこととして、『あひるのジマイマのおはなし』にも描かれているジギタリスの花が群生して咲いている点も、写真を添えて紹介してくださいました。

 湖水地方の景色は、どこを撮っても素晴らしいのですが、花が咲き乱れる6月に訪れる機会があれば、それはどれほど素晴らしいことなのかを、ため息と羨望の眼差しがあちこちから向けられたことでしょう。

 また、ヒルトップは、ポターが居住していた頃につけていたカーテンの資料が発見され再現されました。現在ヒルトップにかかる赤いストライプのカーテンが、再現されたものです。

 その他にも、「Beatrix Potter London Walk 2009」や、「ウェールズ北部のグウェニノグ(Gwaenynog)のバートン家の屋敷で開催された寸劇」についての報告もあり、こちらはピーターラビット公認ファンサイトでも紹介されているので、そちらをご覧くださいとのこと。

 ピーターラビット公認ファンサイト「FUN WITH PETER RABBIT」
 ・ビアトリクス・ポター:ロンドン・ウォーク
 ・ビアトリクス・ポター作品の芝居

 ▼その他のゆかりの地

 だんだんとマニアックになりますという解説とともに、ポターの両親が結婚式を挙げたハイド(Hyde)にあるジー・クロス・チャペル(Gee Cross Chapel)、ここにはポターの祖父母、両親が埋葬された墓があることや、祖父エドモンド・ポターがキャラコの捺染した製品をインドへ輸出する際に必要なトレイド・ラベル(trade label)の紹介もありました。

 さらには、ポターの弟バートラムが、オックスフォードのモードリン・カレッジ(Magdalen College)に入学した際の、「Oxford Historical Register:1220-1900」という資料を入手され、812ページにバートラムの名前が確かに記載されていたことなど、資料とともに紹介がありました。

 ▼『フロプシーのこどもたち』の朗読

  NHKさいたま「首都圏番組」リポーターでもお馴染みの、キャスターの岡野由美子さんによる『フロプシーのこどもたち』を朗読していただきました。とても落ち着いた声で、それぞれのキャラクターの声を使い分け、特に印象に残った部分は、フロプシーがこどもたちを心配する場面で、母親という立場でなんだか胸騒ぎがするという心情的な部分を、岡野さんが声で表現されていたところでした。子供たちが聞いたら、さぞハラハラするだろうと聞き入りました。

 ▼1905年「ホリデー日記(A Holiday Diary)」

 
 「Beatrix Potter A Holiday Diary(ビアトリクス・ポター ホリデー・ダイアリー)」 The Beatrix Potter Society(刊) 1996年

 本日のメインである講演内容、1905年7月22日ポターが婚約者ノーマン・ウォーンと、『アプリイ・ダプリイのわらべうた』の束見本のことで、最期に会った日とされるこの日から、ノーマン・ウォーンが病死するまでの1ヶ月間、ポターがウェールズのランベドゥルで書いたホリデー日記を中心にお話いただくことになっていた予定が、ちょうど時間切れとなり、来年の講演へ持ち越しとなりました。


 ●「絵本の力」 児童文学者、児童文学編集者 松居 直先生

 日本における「絵で物語を伝える」という歴史は、12世紀の絵巻きに始まり、「鳥獣戯画」は誰もが知るところであるというお話に始まり、何故歴史にふれたかというと、日本における絵本のレベルの高さは、世界が驚くほどだそうです。余白の使い方、絵が伝える言葉の技術の高さなど。

 しかし、OECD(ORGANISATION FOR ECONOMIC CO-OPERATION AND DEVELOPMENT)加盟国による第一回学習到達度調査(2000年)で、読解力に関し日本が8位でしたが、その際実施した読書をしているかどうかのアンケートの結果は、読書率が参加国の中で最下位だったこと。

 日本では、江戸時代の後期の8歳から13歳までの男の子の就学率が14%、女の子は10%、これは世界に例をみない素晴らしいもので、寺子屋の役割、さらには義務教育制度の導入により、教育が飛躍的に伸びた。こうして日本は、江戸時代より教育の色々な積み重ねをおこなってきた。

 本とは言葉の世界。とても有意義で素晴らしい本も次々と生まれていますが、現在の日本は、「読書が少ない」、「字は読めるが、本当の意味での読書ができない」。子供の本に関する仕事に携わって60年、このままでは日本語の文化が弱体化し、日本人の日本語に対する力が落ちていくことに非常に気がかりで、日本語とはどういうものだろうかと常々問いかける日々。

 講演序盤は、「子供の本」の仕事に60年間就かれた先生だからこそ、誰よりも日本人の読書に対する意識の低下を感じ取り、その大切さを伝えるために、日本人が積み重ねてきた教育の歴史をふまえて、私達に伝えてくださいました。次に、先生ご自身の戦争体験へと講演は続きます。

 戦時中は、「死ぬために、国のために命を捧げる」という教育を受けてきた。日本が敗戦となり考えさせられたことは、死ななくてよくなったこと。そして「生きる」ということ。しかし、それまでの教育を疑うことなく信じて生きてきた者にとって、生きるという意味が理解できなかった。

 そんな青年時代に出会った本は、「大トルストイ全集」の22巻でした。トルストイに興味を持ったのは、徳富蘆花「順礼紀行」を読み知っていたから。「順礼紀行」は、前半はエルサレムに行く話で、後半はトルストイに会いに行く話。そのなかで、トルストイと徳富蘆花が、「戦争」、「平和」、「捕虜」について、真剣に語ってくたので、きっとトルストイの本を読めば「生きる」意味の答えが見つかると。

 トルストイの「戦争と平和」は、色々な死に方が書かれていて、また色々な人が自分で生きていく姿も書かれている。本を読むことで、生きるということを強く意識し、「生きるという意味は生きるということ」と理解できた。さらには、生きるには、とても豊な言葉を身につけることが大切だ。言葉にはこんなにも強い力があるというの自身の体験で読み知ったから。

 その後、子供の本を創ることにのめりこむ人生を歩んでいったのは、子供の本のなかには豊な言葉があるから。

 ・生きる力となる言葉を伝える
 ・自分の生きるということにつながる
 ・毎日生きるということを積み重ねると、どう生きるということが具体的に分かるようになってくる

 言葉についてもうひとつの原点は、大学に入学して聖書に出会ったこと。大学の授業で牧師の心のこともったヨハネの福音書の第1章を聞き、大変感銘を受けたこと。

 「はじめに言葉があった
  言葉は神とともにあった
  言葉は神であった
  この言葉ははじめ神のところにあった
  万物は神によってなった
  なったもので言葉によらずなったものは何ひとつなかった
  言葉のうちに命があった
  命は人間を照らす光であった
  光は暗闇のなかで光かがやいてる
  暗闇は光を理解した」
   (ヨハネの福音書の第1章より)

 この朗読を聴き、インスピレーションを感じ、言葉がそういう存在であったとは今まで考えたこともなく、言葉に命があり、光があり、命を支える存在でもあるということを知った。

 先生の戦争体験から、トルストイの作品に出会い、言葉の意味を知る過程は、大変重苦しくもあり、時にはこの苦しみから逃れたいと思うほどの力強さを感じました。これほどの体験があったからこそ、人生のほとんどを費やし、子供たちに言葉を伝える仕事へと駆り立てるエネルギーになっているというのが、非常に良く伝わってきました。いよいよ講演終盤、子供たちに言葉を伝えるという本当の意味にふれていただきます。

 1960年から力を注ぎ込んでいる活動に、「ブックファースト」があります。自身の様々な体験から、子供たちに言葉を伝えたい、色々な言葉を伝えていく。それらを赤ちゃん、0歳児から始めるものです。

 最近は、言葉の力が衰え、言葉離れがおきています。言葉離れが暴力につながっている。「切れる」という言葉は、心が失われることですが、これらが暴力につながり、現象として子供の暴力が日々報道されています。問題の核心は、家庭生活における言葉の問題にあるのではないかと。

 家庭生活における言葉の体験を促すものとして、絵本は重要な役割がある。「絵本は大人が子供に読んで聞かせるものだ」というのが絵本を編集する際のモットーですが、子供が字が読めるようになっても、読んで聞かせてあげると喜びます。絵本は、大人が子供に読んで聞かせるもので、口から飛び出る言葉、そこから聞こえる呼吸に命が感じられるから。文字になっている言葉は記号であり、それを言葉で聞かせてあげることで命を吹き込むことができる。

 機械から発せられる言葉には、命はこもらない。耳から聞く声の文化(オーラリティ)が豊でないと、リテラシー(読み書きの能力)が活きてこない。言葉の世界にどれだけ深く入り込み、自らの口で本を読み聞かせる、これがいかに重要なことか。そして子供たちは、出会った本のなかから、自分を活かす、自分の命を支える言葉を見つけて欲しい。

 赤ちゃんのときからの日々の言葉の体験は、読書を考える前にとても大切なこと。赤ちゃんは、お母さんの声と、心臓の鼓動で安心を感じる。ブックファーストを始めた当初、赤ちゃん向けの絵本が存在しなかった。オランダのアムステルダムの図書館で見つけた、ブルーの表紙のうさこちゃん。これが赤ちゃん絵本の1冊目だった。

 赤ちゃんが絵本を見るとことがまず大切で、お母さんがそれを読むことで同じ時間を共有し、赤ちゃんが幸せな顔をすることでお母さんが幸せになれる。そうした幼い頃の言葉の記憶は、無意識のなかに体験したものが無意識にでていく。そして言葉が大好きになるということは、本が好きになるということです。

 先生のお話は、とても力強く、ユーモアも忘れずに、生きるという意味、言葉の大切さ、それらが結びつくと「絵本の力」が発揮されるということ、先生の口から言葉として語っていただき、それを体験できたこと、本当に有意義な講演内容でした。

 
 「母の友」 2009年1月号 福音館書店(刊)
 絵本作家のアトリエ番外編「安野光雅・松居直、ことばを語る」のなかで、「共通語は文明で、方言は文化である」という名言を松居先生が語っていらっしゃいます。ぜひご一読くださいというアナウンスもありました。


 ●「モーリス・センダックとビアトリクス・ポター、他」 立教大学名誉教授 吉田新一先生

 2010年1月15日に全国で上映が予定されている映画「かいじゅうたちのいるところ」は、モーリス・センダック(Maurice Sendak)原作のあの有名な絵本を忠実に映画化したもので、センダック本人が関わっていることからも、その意気込みが伝わってくるかのようです。

 吉田先生は、この映画を日本で公開するに当たり、「これからご覧になる方の楽しみと、こういうところに注目するといいのではという点をいくつかお話いたしましょう」と、講演が始まりました。

 ▼絵本「かいじゅうたちのいるところ」の実写映画化
 
 「かいじゅうたちのいるところ(原題:Where the Wild Things Are)」 モーリス・センダック(著) 神宮輝夫(訳) 冨山房(刊)1975年 原作1963年

 絵本のタイトルにある「Wild Things」は、かいじゅうと訳されていますが、かいじゅうという言葉に捉われないことが大事です。本来は「Wild」荒々しい、コントロールできない、「Things」存在という意味です。

 注目してもらいたいのは、「The night Max wore his wolf suit and made mischief of one kind.」の「The」です。何故、主人公のMaxは、かいじゅうの格好をして、いたずらをして、食事抜きの寝室おくりになったのかというのが、この「The」によくあらわれているためです。

 映画は、この「The」の意味を非常によく理解し制作され、センダック本人をもうならせ、「自分の精神が良く描かれているまた新たな作品」と評価したことから、素晴らしい出来栄えであることがここからも伝わってきます。

 この「The」には、家族であったり、孤独、そして戦争、現代社会が抱えている問題が反映され、その意味がこめられている。これを頭においておくことが、ただ単に良い映画だったでは終わらない、奥深い作品になることは間違いないでしょう。

 「かいじゅうたちのいるところ」は、後にセンダックが発表した「まよなかのだいどころ(In the Night Kitchen)」1970年(刊)、「まどのそとのそのまたむこう(Outside Over There)」1981年(刊)の3冊を3部作と本人自らが呼び、関連付けてます。

 また、「センダックの絵本論(Caldecott & Co. Notes on Books and Pictures)」 モーリス・センダック(著)脇明子・島多代(訳)岩波書店(刊)1990年を読めば、センダックの素顔がよくわかります。

 関連サイト: 映画「かいじゅうたちのいるところ」 ワーナー・ブラザーズ映画提供 オフィシャルサイト
 http://wwws.warnerbros.co.jp/wherethewildthingsare/

 ▼モーリス・センダックとビアトリクス・ポター

  
 左: 「The Big Green Book」 Robert Graves(文) Maurice Sendak(絵) 1962年(刊)
 右: 日本語版 「もしもまほうがつかえたら」 ロバート・グレイヴズ(文) モーリス・センダック(絵) 原もと子(訳) 冨山房(刊) 1984年
 (原書の大きさは、19.5x29.5cm。日本語版は、15.5x22cm。)

 内容は、「昔、ジャックという少年が、屋根裏の隅っこの古い袋の下に隠されていた『大きな緑の本』を見つけました。お話の本かと思って読み始めると、なんと、もっと素晴らしい、魔法がいっぱいつまった本でした。ジャックはまず おじいさんに変身して姿を隠しました。そして、ふたたび元のジャックにもどったときには、彼が世話になっていたしかめつらのおじさん、おばさんを、それまでよりずっと好ましい人物に変えてしまっていた」という、イギリスの詩人ロバート・グレイヴズの作品です。

 大人の融通のきかなさに対する少年の勝利を語ったこのお話は、モーリス・センダックの挿絵によりいっそう楽しいものになっているのですが、ここでこの挿絵によく注目してもらいたいのです。ジャックのおじさん、おばさんの家が、ヒルトップにそっくりです。この他にも、庭の木戸や、天蓋付きベットは、ポターの祖父母が住んでいたカムフィールド・プレイスで使用していたベットそっくりですし、家のほの暗い階段や、納屋内部の絵も、ポターのスケッチを彷彿とさせます。

 中でも極めつけは、おじさん、おばさんが建物2階から木陰にいるおじいさんを見ている挿絵ですが、この建物の図が、ポターが訪れたブッシュホールの建物そのものです。

 この事実を、モーリス・センダックと出会ったあるパーティの席上で、本人に確認したところ、「そのとおりだ」というお墨付きをいただいたのです。

 センダックは、ビアトリクス・ポターへの敬愛の気持ちから、自らの作品へと投影したパスティーシュ。この事実をつきとめた吉田先生の果てしない探究心と、センダック本人に認めてもらったという事実は、講演で披露なさる際、その当時の興奮がよみがえるかのように楽しそうな表情を浮かべていらっしゃいました。

 センダックとポターの関係は、ヴィクトリア&アルバート(V&A)美術館のページでもご覧いただけます。下記のアドレスをクリックしていただき、開いたペ―ジの「Beatrix Potter and Maurice Sendak」のところをご覧ください。ポターの作品とセンダックの作品が紹介されています。

 タイトル「The Big Green Book」  Maurice Sendak’s Tribute to Beatrix Potter
 http://www.vam.ac.uk/content/articles/b/beatrix-potter-the-art-of-illustrating/

 ▼ウィリアム・ニコルソン(William Nicholson)とロバート・グレイヴズ(Robert Graves)

 先程、「The Big Green Book」でロバート・グレイヴズについて紹介しましたが、グレイヴズは木版画画家として有名なウィリアム・ニコルソンの長女ナンシーと結婚しました。つながりとしてはその程度ですがという前置きから、ウィリアム・ニコルソンについての講演がつづきます。

 ニコルソンは、「ビロードうさぎ」の挿絵画家として日本でも有名です。

 もともと、ニコルソンは、ヴィクトリア女王即位60周年祭で、女王の肖像木版画を描き、これで一躍国民的画家となりました。この木版画は、ニコルソンの作品「かしこいビル(Clever Bill)」の挿絵にも描かれ話題となり、また彼は「ふたごの海賊」という作品も発表しました。

  
 「かしこいビル(原題:Clever Bill)」 ウィリアム・ニコルソン(著)1926年 「The Pirate Twins(邦題:ふたごの海賊)」 ウィリアム・・ニコルソン(著) 1928年

 このふたつの作品は、先程紹介した長女ナンシーの娘、ニコルソンにとって孫になりますがジェニーと、自身の再婚相手との間に生まれた娘ライザと、この二人の子供は、ほぼ同時期に生まれるのですが、子供が大好きなニコルソンはこの子たちを可愛がり、そして書いたのがこの2作品になります。

 この2作品は、国民的画家が描いたということだけでなく、抜群の出来栄えの絵本と高い評価を得て、20世紀前半を代表する古典絵本と言われています。

 横長の矩形の版型もこの絵本が最初で、アメリカではワンダ・ガアグ(Wanda Gag)の「100まんびきのねこ」1929年(刊)がこの版型にならって誕生しました。

 ニコルソンは、肖像画画家としてその名を馳せましたが、小風景画・静物画を好んで描いていたので、このふたつの作品は、カタログのように次から次へとおもちゃや食べ物が登場する連続画で、列車や海洋風景なども楽しめます。

 またこのふたつの作品の表紙に注目していただければ、どちらも一筆書きのような枠が描かれていますが、こうした無造作で即興的な筆運びが、作品全体の屈託のないなごみやくつろぎを表しています。

 ▼再びセンダックの作品「Bears」

 
  「Bears」 Ruth Krauss(著) Maurice Sendak(絵) 2005年 邦訳なし

 ルース・クラウスのテキストで、センダックが2005年に挿絵をつけ刊行された「Bears(くまたち)」です。元々は1948年にPhyllis Rowandという画家のイラストで出版されていたようですが、テキストはわずか17行で構成され、行末がきれいに韻をふんでいます。

 センダックの作品は、表紙から既に物語が始まっているとよく言われますが、この表紙も良く見れば、犬がしかめつらしている先には、くまを抱いて寝る少年の姿があります。

 少年と犬は良好な関係で登場しますが、少年が犬ではなく小さなくまに愛着を持ち始めると、犬は怒って小さなくまをくわえて走り出します。犬は小さなくまをくわえたまま逃げ続け、少年は犬から小さなくまを取り返しますが、今度は大きなくまに怒られて少年は小さなくまをあきらめ、少年と犬は良好な関係に戻るという内容です。

 センダックの挿絵は、言葉と絵を堪能するひとときを与えてくれます。

 ▼マザーグースのふたつの別々の歌をひとつにつなげる作風、センダック

 
 「Hector Protector and As I Went Over The Water」 Maurice Sendak(作) 1965年(刊)

 「Hector Protector(ヘクター・プロテクター)」と、「As I Went Over The Water(うみのうえをふねでいったら)」の二つのナーサリー・ライムズ(マザーグース、わらべ唄)をひとつにつなげ、センダックが挿絵をつけたものです。

 これは、センダックが敬慕してやまないランドルフ・コールデコット(Randolph Caldecott)の絵本作り技法を応用したパスティーシュです。

 内容は、ヘクター少年が無理やり女王様のもとへケーキを届けに生かされますが、女王様にも、王様にも嫌われて追い返されるという話です。挿絵は、「かいじゅうたちのいるところ」を出版した2年後ということで、物語後半は「かいじゅたちのいるところ」の再演のようになっています。

 ナーサリー・ライムズのテキストには登場しないのですが、センダックの挿絵の中には一羽のクロウタドリ(表紙左下)が登場し、これが物語の進行役となり、ひと言しゃべるその姿がユーモアがあり、アクセントになっています。ナーサリー・ライムズを絵本化する際のコールデコットの技法を見事に応用した作品といえるでしょう。

 お断り)吉田新一先生の講演レポートに記載した内容は、講演前に配布されたレジュメを一部参照させていただきました。どうぞご了承ください。

 吉田新一先生の講演は、来年公開が楽しみな映画の話から、マザーグースまで、児童文学を読み解くヒントとなる解説をいただくと共に、児童文学がますます好きになる魔法をかけてくださるかのように楽しく、あっという間の時間でした。もっともっとお聞きして、さらなる児童文学の深みに連れて行っていただきたいと、また来年も講演に参加できたらと思いました。

 ピーターラビットの友の会主催「ピーターラビット講演会」は、児童文学を心より愛する方々の集まりで、毎年このような講演を開催されているとか。なんとも贅沢で優雅なひと時をありがとうございました。

 この講演会の記念にいただいたビアトリクス・ポター資料館のオリジナルシャーペン
 

(2009.12.10 ラピータの部屋コンテンツ レポート作成: ラピータ

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