<日本語版の歴史>
(1971年以前の出版分、いわゆる海賊版について 敬称略)
雑誌「幼年之友」 第7巻2号、3号、4号 實業之日本社 1915(大正4)年 2月「ピータロー兎」(一) 著者名として、海南 3月「ピータロー兎」(二) 海南 4月「ピータロー兎」(三) 海南 |
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国際子ども図書館所蔵資料で見る歩み「日本の子どもの文学(別サイト)」の説明によりますと、雑誌「幼年之友」は、月刊絵雑誌で、幼稚園から小学校低学年までを対象とした内容だったようです。 「幼年之友」第7巻2号に掲載されたのは、 タイトル「ピータロー兎」、 作者名として 海南 とありました。これについて新聞記事に掲載された内容を少し紹介します。 「絵本『ピーターラビットのおはなし』を、戦中期に国務大臣を務めた下村海南(本名=宏、1875-1957)が、官僚時代に翻訳していた可能性があると、河野芳英・大東文化大学教授から連絡があった。」 読売新聞2015年10月1日13面より 雑誌「幼年之友」に掲載された「ピータロー兎」の出だしは、以下の通り。 「昔、アルトコロニ、太郎、二郎、三郎、ピータ郎トイフ、四ヒキノ兎ガ、砂山ノ大キナ松ノ木ノ ネモトニ オ母サント イッショニ 住ンデ井マシタ。」 また、同雑誌「幼年之友」の前年1914年には、「蛙のピョン吉君」というタイトルで、第6巻10号、11号、12号、第7巻1号の4回にわたり連載されました。 |
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